9月、2週出演

宮本です。

ご縁があり、9月に2週連続で出演させていただくことになりました。

演の祭典2017 参加
十和さんと小林くん番外公演 トワコバSP
『flowflow LABO』

この時期浅草で恒例となったCreative Company Colorsでの矢部亮・松尾美香の二人芝居『十和さんと小林くん』の番外編!
800年生きる不老長寿の十和さんと、彼女を研究する小林くん。
今回の番外公演では、そんな小林くんが所属する研究所で、
ちょっと変わった研究者たちと、ちょっと変わった新人が繰り広げる5人芝居。
不思議で可笑しくて、ちょっとだけHAPPYになる50分のお芝居です。

□作・演出:矢部亮
□出演:宮嶋みほい / 宮本荊 / 長尾一広 / 高野ちん太郎 / 矢部亮

○と き:9月16(土)・17(日)・18(月)
全日、18時開演(17:50開場)
※開場から開始までが10分と短くなっております

○ところ:浅草 山本劇場
東京都台東区浅草1-12-2 篠原ビル2F

○ねだん:前売・当日共 1,500円

▽ご予約(Quartet Online)
https://www.quartet-online.net/ticket/towakobasp?m=0gcfhdj

▽演の祭典2017
https://ameblo.jp/asakusapp2/

朗読×ダンスーズ企画『黄色い壁紙』

【企画】メル(Mer)
【出演】宮本荊(LifeR)
メル(Mer)

【時間】2017年9月22日(金) 開場7:30 開演8:00
【会場】カフェムリウイ 屋上
http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/info.html
【料金】前売2000円 当日2500円 (共に1ドリンク別)
【予約】メール:m.meco.mer@gmail.com(メル)
もしくは私の方までDMなりなんなり

朗読と踊りと共に小説シャーロット・パーキンス・ギルマン著作の短編『黄色い壁紙』を上演します。
”それでもこれだけは自信を持って言える。この屋敷にはどこか奇妙なところがあると。”
語り出す口上に、踊りに、ムリウイの風に、秋のはじまりを堪能してください。

※上演時間約60分

【総括】stg:6「互助」

いつもなら大体終了の1週間後ごろには上げていたが、翌週には別のイベントがあったため、遅ればせながら。ちなみに(個人的には)本公演の総括はその別イベントにも繋がるものでもある。
まずはご来場いただいた皆様に感謝を述べるとともに、今回も死人が出なかったことに感謝したい。

今作は当初から述べてきたとおり、自分の中で「何を大事とするか」という根本から変更して臨んだものだった。そしてそのために脚本も構成した。つまり、もしそのアプローチが結果を生まなければ、良い物にはなろうがそれ以上にはならず、逆にデメリットが目立つこととなって最終的には及第点、といったところに落ち着くだろう…という形にした。もう少しだけ具体的に言うなら、今回は本番の板の上に仮に「上手な役者」が出来上がっても、成立しない…いや、ちょっと逃げ道を作って、成立しないこともないようにはした。
結果が何点だったかというのは作者側の勝手であって敢えて言うものでもないが、ただ一つ、当然ながら新しいやり方は容易くはなかったなというのがここで言える感想である。
前述の「何を大事とするか」の変更。ザックリ言うと、これまでは「観客の中に何かが生じるか」だったのを今回は「出演者の中に何を生じさせるか」に切り替えた。何故そのように変えたの?はまた別場でそのうち述べるとして、、稽古から何から色々とアプローチが変わるだろうとは思って臨んだものの、思っていたより深いところでその二つは異種だった。終わってみると反省点しかない。

しかし同時に課題として色々と明確化できた部分もある。稽古期間の初期でやっておくべきだったこと、やるべきでなかったこと等。何より大きいのは、これはどうやら間違った方向ではなさそうだという予感を感じたこと。それは多分、今回お力添えいただいた出演陣のおかげでもある。「おそらくこういう側面で刺激をくれるだろう」と予期していた部分もあり、また全く予期せず天啓を与えてくれた部分もあり。そうした刺激を意識してか否かに関わらず常にこちらにぶっ刺してきてくれた面々だった。
そしてもう一つ。やって判った(厳密には思い出した)のは、本番は役者を破壊するという感覚である。前に聴いたロシア演劇クラスの研究生公演の逸話で、演出がそれまでの稽古で役者のなかに培ってきた役の精神を守るために、公演では舞台が客席から見えないようついたてで覆ったという話があった。当時は「そんな馬鹿な」程度にしか思っていなかったが、今回はそれを直に感じた。勿論「人に見られて恥ずかちぃ」という次元のものではない。もう長いこと稽古なるものが、「慣れる」ことによって本番の安全な遂行を目指すという行為に落ち着いてしまっていた感がある。またそれが私だけでなく周囲で一般に稽古と呼ばれている行為だとも思う。だが、そもそも本番というのはもっと危うい感情の糸の上に立っている状態だったような記憶が、劇場に入ってからの稽古~本番で蘇った。そしてようやく先述の逸話が腑に落ちたのである。
実は今回、初めて部外者が客席に入ったゲネで、ポロッと某出演者が「お客さんがいて怖い」とこぼしたことがあった。本来そんなことを言うようなキャリアの人では無いし、そのときは余裕が無かったので適当にあやしてしまったが(ほんとごめん)、正直それを聞いた瞬間、衝撃とともに「今回やってよかった」と電気が走っていた。

本番に破壊されるという感覚は、一出演者としても十分に味わった。「破壊される」とは見せ物を創る者としてあるまじき言い種だが、しかし「この感覚が今後のキーになるかもしれない」という体感が、先ほどの「どうやら間違った方向ではなさそうだという予感」につながってもいるので、ご容赦いただきたい。
実は最初に書いた別のイベントも、私個人がその感覚をもっと掘り下げるために行っている修行のようなものではある。今回は特に本公演の翌週だったため、ひしひしとそれを感じながらやっていたが、本公演の総括もかなり長くなってしまったので、それはいずれ別途書きたい。

ともあれ総括として述べるならば、今作は当初思っていたよりも、そして意外にも、好きな作品となった。自作としてはあまり無いことである。

【稽古日誌】宮本荊

初日、二日目と終えて皆さんが帰られた後の会場。
今回は最小限の物しかない、ほぼスッピンの舞台だが、それでもやはり二日間やってきた分、塗り込められた色を感じる。元の劇場空間とは全く違う感がある。これは素舞台でやる魅力の一つじゃないかと思う。
明日、楽日でこの空間を見るのは最後になるが、存分にやってゆきたい。

stg:6「互助」は明日13時、17時で最終となります。
お時間がございましたら是非ともお越しください。

▽空き確認・ご予約
http://lifers.jp/orv/

【稽古日誌】宮本荊

本番前週、稽古も色々と詰めに行き出す頃である。週が明けて小屋に入り、14日から本番が始まる。
そういえば、あまり演出的な愚痴をあまり垂れずにここまできた。おそらくグチっている場合でも無かったのだろう、自分。
今回、実は色々な想いがあって演出以前の、何を大事として作品を作るかという前提から、これまでと全く違う形にトライしてみた。言ってしまうとこれまでのやり方は間違ってたんじゃないかというくらいの方向転換をしてみたわけで、吐露すると、少なくとも己の中は大荒れだった。
具体的にどういう転換?というのは上演に先立って言うものでもないのでそっと仕舞っておくが、そもそもその方向転換とやらをやってみるために今回の公演を企画し、そしてそれをやってみるために、これまでと同じ方向の稽古のやり方だと成立しない、なんならグデグデになって中途半端にすらならないような脚本にしたのだった。そして同じ理由で、執筆時点で有ったビジョン、完成予想図のようなものを(当社比で)ほぼ破棄して、進行中も極力それを自分の頭の中で先行して確定させないようにしてきた。してきた、というか努めた、というかがんばった。
その結果、実際のところ、稽古中にその場で何か光ったり、光らなくてめげたり、他の皆さんから何かをもらって話の本筋自体が躍動して驚いたり、というような演劇青春馬鹿な感覚が久々にあったのも確かだ。だが当然その分、着地点が見えない恐怖の時間も多かった。恐怖の時間自体は悪いことではないし寧ろあるべきだと思うが、なんにせよ心穏やかではなかった。もうこれまでのやり方で作ってしまおうかと、心が劇画調になったことも何度かあった。
しかし、ここからが本題だが、今回の出演陣の皆さんのおかげで前述のアップダウンを総じてプラスに持って行くことができそうだ、というところまで来られた。大変感謝している。各々タイプや姿勢は(正直なところ当初思っていたよりもかなり)違うが、むしろそれがよかったのかもしれない。
ここからは、色々なものをくださったこの出演陣に報いるためにも最上の完成に持ってゆくことができるかどうかというプレッシャーと戦って精神を削ってゆきたいと思う。酒など飲んでいる場合ではない。

【稽古日誌】始まりましてる

ただ今HP公演ページにて情報を公開しているが、先月よりstg:6公演に向けて稽古が始まった。出演陣と、序盤の顔馴染ませも一頻りできてきたところだ。
間に細々と個人活動を行っていたためナンバリングの本公演としては日が空いてしまったが、また作・演出と出演をさせていただいている。テンパってくるとそれらが満遍なくおろそかになってしまうが、今回も暖かい出演者の皆さんの支えによって乗り切ることができるはすだ。そんな風に先手を打っておいて、今回の出演者を軽くご紹介。
まずは初めてご一緒する多田竜也さん。好青年枠でお呼びした純血の好青年で、見た目は好青年で中身も比較的いい人だ。たまに得体の知れない闇や気だるさが表われて、見かけほど若くないことを思い出させてくれる。普通に立っていればイケメンだが、もう少しエグい側面を探ってみたい。
そして古山彩美さんは先日の読み聞かせを含めると三度目のご協力となる。相変わらず筋トレへの一貫した嫌悪感を示すが、ベースは真摯なので、今回もまた稽古にあたって新しい技術的難題を前に大いに悩んでいただいている。
もう一人、初参加となるメルさんは、ベースは俳優さんでなく舞踏の方である。実は当初は身体表現枠的にお呼びしたのだが、思いがけず素敵な声だったため、結果的にけっこう喋っていただくことになった。本人にそう言ったら大変恐縮されていたので、あらためてここでプレッシャーをかけておく。稽古場では、正に別領域からの刃といった意見を頂くことが多々ある。自分が思っていたよりも形式的になっている部分を再認識させてくれる、ありがたい存在だ。
最後に、前回の読み聞かせで美声を響かせた岸本和也さん。その重低音の安定感でもってほかの4名の背後から忍び寄って、もとい、サポートしていただきたい。

これからまた本番まで、これらの出演陣にも登場していただきながら稽古日誌としてご報告をあげてゆきます。

まだ起爆くらい

現在稽古的には前の三分の一が過ぎてきたが、今のところ内容のしっぽを追いかけている段階で、まだ動きだなんだという状態にはなっていない。

この時期はまだ先が見えず皆さんの頭がもやもやしている状態だが、そんな状態だから妙な発想が飛び出してきたりもする。昨日は筒井本サイドの稽古だったが、出演する萬歳さんから「この役は妖精みたいなものですか」という質問が飛び出した。動き的にという意味だったのだろうが、おそらく本人が思っているよりも劇的に、役の在り方とこの話そのものを指している。詳しくは話せないが今回の一話目は、いわば神戸の路地裏に出現した妖精の巣に迷い込んだ男の綺麗で汚い白昼夢と言っていいのかもしれない。

まだ打率はかなり低いものの、突発的にこうした発想が出てくる。光恵、恐ろしい子。頭の中のビジョンを体現する運動能力がまだ不足しているのが悔やまれるが、それはこれから。

他の皆さんも各々、役以前のご本人としての特殊能力を徐々に沁み出させ始めている。良い癖も悪い癖も色々ごった煮の状態である。

両組稽古進行中

今回の短編2本、両組の稽古が進んでいる。前回もそうだったが今回も皆見事に個性や体内リズムがバラバラだ。嬉しいほどの、右も左も分からない序盤だ。

ともすると私達は特にベテランでもないのに稽古の作法というか立ち振る舞い方みたいなものを判ってしまう。「今日はこのくらいやればいいんでしょ」的な。だが、今回のように微妙に形式が違うものの場合、声を出していいのか、今動いていいのかという次元で本当に解らなくなる。いっそ解らないのなら固まるよりも突拍子もないほうに進んでいただきたいが、あればいいというものでもなく、ちゃんと場の意味において演出の虚を突くというのは難しいだろうと思う。
先日の稽古でそんなクリティカルを出したのが天平さんであった。具体的に何をしたかは言えないが、さすが「前回やれなかった心残りがたくさんある」と仰っていただけあって、踏み込みが早い。

演出をやらせていただいていて楽しいのは、こうした人達をこれから何度も間近で観ることができるという点だ。おまけに職権でそれにケチをつけることもできる。これから本番まで、存分に観させていただきます。

真夏の読み聞かせ、稽古開始

夏に行う怪奇な読み聞かせ。今週から稽古が始まり、また戸惑いと模索の日々に突入した。この形式が初めてとなる出演陣はもちろんだが、いちどやった自分ですら、使う原文が変わるだけでこうも挑み方を変える必要が出てくるのかと新鮮に驚いている。

今回も短編を二本取り扱う予定で、今のところそれぞれ「そうなれれば今回は理想的だな」と想像している稽古と本編の道筋というか、ふくらみ方のようなものがあるが、これももう少し確かになった。一つは役が膨張して話を内側から爆発させる感じ、そして他方は役が話を吸収してから徐々に膨張して最終的に作品の巨大な外枠になる感じである。前回の初回稽古後の雑感と同じく何言ってるかわからないだろうが、私の中の「そんな感じのアレ」をどんどん形にしてゆくのがこれからの稽古だろうとワクワクした、そんな初回だった。

という、これは演出としての私の日誌。

そして協力していただく皆さんには、今回は形式の難しさだけでなく各々に違ったタイプの難題を押し付けることになる。そんなの格好付けて言うようなことでもなく、稽古ならば当たり前っちゃ当たり前なのだが、とりあえず初回の感じでは、押し付ける相手は間違ってなかったが道は険しそう、というところである。

後記

 例によって、終わって一週間が経ったので後記という流れだが、まずはいつも通り、誰も死ななくて本当によかったという感謝から。というのも「怖い話をやると霊的な存在を呼ぶ」という常識にとても丁寧に則った出来事が実際のところ少なからずあったからで、それに直面してしまわれたお客様には、霊のしたこととはいえこの場でお詫び申し上げたい。
 今回、様々な思惑からこの「朗読と芝居の間」という形態にたどり着き、そして行ってみたが、正直なところその思惑の殆どは良悪両面でかなり予測を外れた部分が多かった。その為、良悪いずれにしても大きく戸惑いながら進めた感がある。「悪」の面は概ね内部的な製作の部分なので多大な反省をしつつここでは伏せるが、「良」の面は一言でいえばこの催事の形態の意味が終わってから漸く解った、というところである。
 こういった、通常と違う形式のものを行う場合の常として、いわゆる普遍的なお芝居と見られるものをやっている際に漠然と「良いモノを見せたい」止まりになっている感覚が大きくブレる。敢えて「ブレる」と言うが、「何のどういう側面のどんな具合のモノを」はもちろん「どのくらい、何分間、幾らで見せる」という感覚になる。そうなってくると普段の「良いモノを見せたい」感覚自体がいかに緩んだものだったか想像されて悲しくなる。悲しんでいても仕方がないのだが、これはもう、悔しいとか反省とかいうより、悲しいと言う他ない。
 この辺はしかし、どのみち私の心の中の話なのでこのくらいにして。
 先に「解った」と曰ったこの催事の形態が持つ意味とはじゃあ一体何だったのかというと、それは文字の具現化を越えた、文字の幽霊化へのショートカットだったのではないかというものである。そして実はそれは(何度かどこかに書いているかもしれないが)かなり昔にふとそれが自分のやりたいことじゃないかと気付いた事柄にも直結してもいる。「文字の幽霊化」というのもその時の気持を漠然と命名したモノだったが、謂わば自然口語ではなくテキストの亡霊が演者に祟ることで生まれる類の芝居である。
 当初から明確な自覚があったわけではなかったが、空間として想像したのは密に舞踏を観せられた時に感じるあの、踊りを観ているというより寧ろ「食べられてしまう」とビクつくような場であった。それがイコール怪奇小説を本旨として選んだ理由でもあったが、有り難いことに終演後に頂いたご感想としても頂戴することができた。そうした感覚が生まれたのには、場や作品の助力が大いにあったろう。
 まずは今回用いた二作品の存在感。言葉というより字面というより、もはや小説なる印刷物の表面にフェチズム的なレベルで何かしら猥雑に蠢くものが感じられた時代のそれらが醸す文字感のお蔭があった。そして場。もともと紙の書籍にはいろんな色がある。別に比喩としてではなく、文字は黒かったり灰だったり時に紫に見えたり、そして紙面は白かったり茶色だったり橙だったり下手をすると黴て緑だったりといった、正にそんな「色」のことだが、そういった、私の中にある「本の色」があの空間に自然にあったお陰でもある。たとえば普段本をあまり手にしない方でも、あの空間で読まれた書籍がまさか真っ白い紙に純黒で印字された物だとは想像しないだろうという意味でのフィット感が、確にあったと思う。
 ただしそれ故に、技術的に不足ではあったのは痛感している。もっとあれは墨の擦れた演技でなければならなかったろうと思う。これが先述した「文字の幽霊化へのショートカット」と気付いた今は尚更強く感じる。
 この形態は、もっと、やれるはずである。
 一週間明けにこれを書き初めて今終えるまでに結局丸一週間掛かったが、まとめとして残すならそれに尽きる。それも前向きとか反省とかといったものではない。これは情けなくもありまた心底嬉しくもあるのだが、畏れとしてそれを抱いている。