【総括】stg:6「互助」

いつもなら大体終了の1週間後ごろには上げていたが、翌週には別のイベントがあったため、遅ればせながら。ちなみに(個人的には)本公演の総括はその別イベントにも繋がるものでもある。
まずはご来場いただいた皆様に感謝を述べるとともに、今回も死人が出なかったことに感謝したい。

今作は当初から述べてきたとおり、自分の中で「何を大事とするか」という根本から変更して臨んだものだった。そしてそのために脚本も構成した。つまり、もしそのアプローチが結果を生まなければ、良い物にはなろうがそれ以上にはならず、逆にデメリットが目立つこととなって最終的には及第点、といったところに落ち着くだろう…という形にした。もう少しだけ具体的に言うなら、今回は本番の板の上に仮に「上手な役者」が出来上がっても、成立しない…いや、ちょっと逃げ道を作って、成立しないこともないようにはした。
結果が何点だったかというのは作者側の勝手であって敢えて言うものでもないが、ただ一つ、当然ながら新しいやり方は容易くはなかったなというのがここで言える感想である。
前述の「何を大事とするか」の変更。ザックリ言うと、これまでは「観客の中に何かが生じるか」だったのを今回は「出演者の中に何を生じさせるか」に切り替えた。何故そのように変えたの?はまた別場でそのうち述べるとして、、稽古から何から色々とアプローチが変わるだろうとは思って臨んだものの、思っていたより深いところでその二つは異種だった。終わってみると反省点しかない。

しかし同時に課題として色々と明確化できた部分もある。稽古期間の初期でやっておくべきだったこと、やるべきでなかったこと等。何より大きいのは、これはどうやら間違った方向ではなさそうだという予感を感じたこと。それは多分、今回お力添えいただいた出演陣のおかげでもある。「おそらくこういう側面で刺激をくれるだろう」と予期していた部分もあり、また全く予期せず天啓を与えてくれた部分もあり。そうした刺激を意識してか否かに関わらず常にこちらにぶっ刺してきてくれた面々だった。
そしてもう一つ。やって判った(厳密には思い出した)のは、本番は役者を破壊するという感覚である。前に聴いたロシア演劇クラスの研究生公演の逸話で、演出がそれまでの稽古で役者のなかに培ってきた役の精神を守るために、公演では舞台が客席から見えないようついたてで覆ったという話があった。当時は「そんな馬鹿な」程度にしか思っていなかったが、今回はそれを直に感じた。勿論「人に見られて恥ずかちぃ」という次元のものではない。もう長いこと稽古なるものが、「慣れる」ことによって本番の安全な遂行を目指すという行為に落ち着いてしまっていた感がある。またそれが私だけでなく周囲で一般に稽古と呼ばれている行為だとも思う。だが、そもそも本番というのはもっと危うい感情の糸の上に立っている状態だったような記憶が、劇場に入ってからの稽古~本番で蘇った。そしてようやく先述の逸話が腑に落ちたのである。
実は今回、初めて部外者が客席に入ったゲネで、ポロッと某出演者が「お客さんがいて怖い」とこぼしたことがあった。本来そんなことを言うようなキャリアの人では無いし、そのときは余裕が無かったので適当にあやしてしまったが(ほんとごめん)、正直それを聞いた瞬間、衝撃とともに「今回やってよかった」と電気が走っていた。

本番に破壊されるという感覚は、一出演者としても十分に味わった。「破壊される」とは見せ物を創る者としてあるまじき言い種だが、しかし「この感覚が今後のキーになるかもしれない」という体感が、先ほどの「どうやら間違った方向ではなさそうだという予感」につながってもいるので、ご容赦いただきたい。
実は最初に書いた別のイベントも、私個人がその感覚をもっと掘り下げるために行っている修行のようなものではある。今回は特に本公演の翌週だったため、ひしひしとそれを感じながらやっていたが、本公演の総括もかなり長くなってしまったので、それはいずれ別途書きたい。

ともあれ総括として述べるならば、今作は当初思っていたよりも、そして意外にも、好きな作品となった。自作としてはあまり無いことである。

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