続・年頭所感

先に書いた年頭所感があまりにお知らせ的だったのでここいらで個人的に。せっかくなので先日つぶやいたお神籤に関して。

つぶやきを耳にした方はご存知と思うが、本年間違えて『大吉』を引いてしまった。よもや高尾山のマゾお神籤に大吉という札が入っていたとは思わなかった。

上京して最初に引いたお神籤がこの高尾山のモノだったのだが、その際は『凶』だった。ここに来て明かしてしまうが、実は現在の名前もその際の神籤の内容が元になっている。

「何が故に荊の道と想う也(どうしてこんなに厳しい道のりかと思うことだろう、的な)」

凶のくじその他も概ね救いのない内容だったが、残念ながらその時のくじは紛失してしまったので、参考までに翌年のくじを(写真)。過去に数度、よその「凶」を見たことはあったが、これほど救いの余地のないものは初めてだった。参拝客からの苦情に配慮して凶を減らしているゆとり教育の中で、高尾山の凶は頼もしい力強さを感じる。「人間悪いときと謂うのはあるものでそれを受け止めなさい」という厳しい優しさなのだろうと勝手に想像しているが、それとは別にして「笑いはもういい、唯我的不幸を書こう」と思ってやってきた身にとっては、そのくじはまさに天啓に思えた。

ちなみにこぼれ話で言うと、二度目の凶を引いた後に余りのショックに「無かったことにしてもう一回引いてみよう。もしまた凶なら本当に天啓と受け止めようし大吉なら素直に喜ぼう」と思って、後ろめたさを感じながら禁断の二度引きをしたところ、「中吉」を引いて悶えてしまった。どこまでサディスティックなんだという感嘆とともに、器の小さい行為を完全に見透かされた形となり、完敗に終わった。

「否極まって正に泰無し」

正に、である。

大吉くじそれが本年、間違えて引いてしまったのである。ツンデレでいうところのデレである。これも「掘らねば玉は出ず、ゆすらねば金も出ないず、一心に努めざれば成就せず」と断言されていて、どこまでも甘やかさないシステムではあるものの、見ようによっては「前振りを経てドンと背中を押された」ようにも感じられる。今まで虫けらのように扱われツバを吐かれ卑猥な言葉で罵られていた鬼教官から突然握手を求められ、一人前の兵士として認められたような心持ちで、責任を感じてしまう。くやしいが最早高尾の山の思うつぼである。くやしいがしょうがない、あんたの敷いたレールに乗ってやるよ高尾。

そんなわけでまだ自身でも行方の分からない気合いを抱えて2010を迎えることとなった。行方の分からないまま気合いが霧散して2011とならないように、とりあえずは病と遅筆を治すところから始めてゆきたいと思う。

※追 くじの下部のおことば、大吉(上)と凶(下)。この違いよ。

おことば

病気は全快しますとあるのが幸い。

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